荒野を下って/甲斐バンド

よりよい世界夢見ながら
眠りにつく時がある
だけど沈んだままの心で
いつも目を覚ます
寂しげなエンジンの音が
車の中にうずまき
真夜中 人影もない道を
俺は一人ゆく

荒野を下って 赤く灼けついたあの
荒野を下って 街ざかいのハイウェイを 西へ

ふたりを引き裂いたいくつかの
つらい出来事を思い出す
美しい月がのぼってゆき
家に急ぐ車の流れ
テールランプにうかぶ闇
次の街に着くまでに
この痛みが消えてることを
俺は今でも願ってる

荒野を下って 赤く灼けついたあの
荒野を下って 街ざかいのハイウェイを 西へ


『荒野をくだって』/詞:甲斐よしひろ


ほんとうに昔っから、自分のやっていることって変わらない。
中学時代にこの曲を聴き、詞に描かれる情景が心に沁みこんだ私は、
授業中にノートにこの詞を書き写し、休み時間に級友たちに読ませた。
別に甲斐バンドのファンでもなんでもない人たちに、
「いい詞だから読んで」と。
ものすごく押しつけがましいヤツであった。
もちろん今でもそうである。変わらない。

友人はみなやさしい人たちだったので、黙って読んでくれた。
そして「いい詞だね」とも言ってくれた。
しかし
「最初の『よりよい世界夢見ながら 眠りにつく時がある』っていうのが、
なんかいまいち。ピンとこない。そこがなければもっといいのに」
という意見も多く聞かれた。

どうしてその部分がダメなの? と当時は思ったりもしていたが、
よくよく考えてみれば、よりよい世界を夢見ながら眠るなんてこと、
自分は確かにしていなかった。
中学生の頃、頭で思い描く「世界」は漠然としすぎていたし、大きすぎた。
よりよくなることを夢見る前に、現実だってろくにつかめていなかった気がする。

年を重ねるほどに感じるのは、
自分にとっての「世界」がどんどん小さくなってきているということ。
大切にしたいこと、すべきこと。
よりよくなることを夢見るのは、
自分の身近にある本当に小さな小さな世界。
そこが平和でハッピーでなければ、
よりよき大きな世界を夢見ることもできないのじゃないかと、今は実感している。


だけどほんとうに、『沈んだままの心で』目を覚ますことが多い日々でのう……
それも年をとったからゆえなのか。


それにしても美しい詞だと、今もやはり思う。
前の前の記事の話でいうと、甲斐バンド及び甲斐よしひろの
現在進行形のファンとはもはやいえないのであるが、
甲斐よしひろの詞によって日本語のもつ情緒や奥行きの深さなどを
10代の私が知ることができたのは間違いない。

いつかちょっと聞いただけの話なのだけど。

前回のつづきのような話になるのだけれど、
スライダーズ解散後、蘭丸が「つっちー」という愛称で
音楽バラエティ番組にレギュラー出演を始めた時には、
単刀直入に言って、ついていけないものを感じた。
だから、その番組もほとんど観ていなかった。

でもあれはいつの年だったか、帰省して実家の弟と話をした時に、
弟が「この前、あの番組にキヨシローが出でたど」と教えてくれた。
「んで、キヨシローがさ、蘭丸に向かって
『キミ、ここでこんなことしてていいの?』ってなことを言ったんだ。
蘭丸、キヨシローにそう言われて、うれしそうに笑ってたっけど」

すでに弟の主観がかなり入った話になっているので、
実際はどんな感じだったのか正確なところはわからないんだげっちょも。

でも、そんなことを言えるのはキヨシローだけだよなぁーって。
そしてキヨシローにそう言われたら、笑顔になっちゃうかもなぁーって。
頭の中でそのイメージが広がって、
それは観たかったなぁーって思ったものだった。


その時のビデオがあるわけでもなく、弟から聞いた話というだけなのに
こうして記事などにしてほんとに恐縮なのですが。
でもいい話だな、と当時も思ったし、
今も思い出す度にそう思うのでありました。


2000年という年の、ファンとしての自分

「メジャーになっちゃったからとか、もう自分も若くないからとか、
そろそろ飽きたからとか、他に興味が移ったとか、なんとなくとか、
そういうことでファンが自分から離れたり付いたりするのを、
30年間肌で感じ続けてきた。だからオレはファンを信じてなんかいない。
信じろっていう方がムチャだ。」

『ロックで独立する方法』/忌野清志郎(太田出版)より


さまざまなバンドやミュージシャンを好きになっては離れたり、
またくっついたりしてきたファンとしての自分を省みると、
「ファンは信用できない」と言っていたキヨシローは正しいと思う、ほんとに。
なんといっても自分がそうなのであるからにして。

ファンとして離れてきた理由も自分なりにいろいろあるにはあるが、
まあそれも所詮はこちらの勝手な言い分に過ぎない。

スライダーズは高1で初めて聴いた時からずーっと好きだけれど、
でも「ちょっと距離をおこうかな」と思ってしまった時があった。
2000年3月から4ヶ月間、新宿リキッドルームで行なわれたマンスリーライブ、
『THE LATE SHOW』の時である。
1日2ステージというかつてないスペシャルなライブであったにも関わらず、
最初の3月のライブで私はいまいち楽しめなかった。
ライブが終わった後に、なぜだか気分が重たくなっていた。
そのライブがどうだったから、という説明はもう今となってはできないのだが、
それまでのスライダーズのライブで感じたことのなかった、
妙な不完全燃焼感はやたらと覚えている。
この4ヶ月間のマンスリーライブをすべて観る必要はなかろう、と自分に対して思った。
自分の中に何らかのマンネリが生じてきているのだろうと思い、
自分なりに少しインターバルをおいてみようかな、という気になったのだった。

上記引用部分でキヨシローが言っているように、
「なんとなく」とか「飽きたから」という感じに近かったかもしれない。

ただ、好きだという気持ちにはもちろん変わりがなかったし、
そのまま離れたきりになるなんてことは考えられなかった。
自分にとって今はたまたまそういう時期なだけで、
また必ずそこに帰る日がくるんだ、と信じていた。
なんだか大げさな文章だけど……。

しかしこの4ヶ月間マンスリーライブが終わったそのわずか2ヵ月後に、
バンドの解散が突然発表された。

ちょっと距離をおこうかな、なんて呑気に身勝手に思っていたけれど
(その時のそういう思いはもちろん自分でも否定はしないのだが)、
自分にとってどれだけ大きな存在だったのか、
結局そういう形で思い知らされることになったのだった。

私はほんとに、そんなファンであったことだなぁ。
でもスライダーズのことは最後の最後まで信じられる部分がずっとあったし、
それが裏切られることはなかったなぁ。
と当時を振り返って思った。


何も今さら解散のことをうだうだ書かなくても、という気もするのだが、
やっといろいろ振り返って書けそうな感じにもなってきているので、
今後もぽつぽつ書いていこうかな、と思う。

「それがあるから、旅は浮かれる」

「人間の、なんか大切な、大もとのこと、ノスタルジーが旅にはあるでしょ。
それがあるから、旅は浮かれる、浮き浮きするわけですよ。
たとえばさ〜、子宮。地球じゃなくて、子宮の〜、温かみのあるところに
出くわすわけですよ、旅すると。決して、はじめてとか新しいところじゃないんだよ。
なんか知らないうちに、前にも体験したことがあるようなところに出会うと、
燃えるんですよ。はしゃがなくちゃならない状態になるわけ。
精神でも肉体でも、きゃーって。
 旅っつうのは一週間から10日くらいがいいね。
一週間くらいになると、ちょうどこう見えてくる。
だから、旅したら一週間くらいその場所に居るんですよ。
長〜く居るとねえ、そこに入り込みすぎちゃうから、どんどん見えなくなるんですよ。
10日ぐらいがぎりぎりだね。そうでなかったら、逆の10年くらい居るんだね、いっそ。
そういう感じですよ。」

『天才アラーキー 写真ノ方法』/荒木経惟(集英社新書)
P39より


確かに。
「はじめてとか新しいところ」を求めて旅しているような気がしていたけれど、
何度もリピートしたくなるほど強く惹かれる旅先には、
懐かしさのようものが確かにある。
「子宮の〜、温かみのあるところに出くわす」というのは
アラーキーならではの表現だけど、
旅で感じるなんともいえないときめきやせつなさみたいなものって
自分の肌の感覚としてもともと知っているような
温かさにあるのかもしれないなぁとちょっと思った。


旅がしたいな。
「はしゃがなくちゃならない状態」、というのが恋しい。

HARRYに乾杯! 2010

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HAPPY BIRTHDAY HARRY!!

満月の夕


「彼らの歌は悲しみに閉ざされていた人々の心に響きました」

HARRY NEW YEAR 2010




今年もHARRYが動き出す。
朗報、うれしい。
さあ、自分も張り切っていこ!!

「せせこましくなく生きることだ。」

「すべてを楽観的に考えて、せせこましくなく生きることだ。
じぶんも他人もいじめないことだ。」


「どんなみじめな人生でも、いのちの幅と広がりにいっさいをかけることのほうが
どんなに美しいかと、いま更、何事も大してできそうもない自分の余生を私は、
日々をいつくしむことでいっぱいである。」


「時にはまた、じぶんには、こころなんかないのではないかしらとおもうほどで、
心臓のとりかえ手術のようにこころも誰かと入れ替えてほしいと思ったりする。
それもこころを放恣にして、磨いたりすることを怠けていた当然の帰結であると
いまさら悔やむ甲斐もない。
 こころはゆれうごいたり、こわれたりしやすいものだ、皆さん、
こころを大切にいたしましょう。」


『人よ、寛(ゆるや)かなれ』/金子光晴(中公文庫)



金子光晴が好きで好きでたまらない。

「善がはりきりだすとすごく恐ろしい」

「善悪を二つに割ってしまって、これは善、これは悪というのは、
へたをすると危険なことになります。善が悪を駆遂するというか、
そうすると善は何をしてもかまわないということになってしまいます。
それがいちばん怖いことです。
(中略)
 これは昔から言われていることだけれど、悪のための殺人って非常に人数が少ないです。
それに比べると善のための殺人というのはものすごく多い。戦争なんかそうです。
だから善がはりきりだすとすごく恐ろしい。
でもだからと言って、「悪がいいです」なんて言えませんから、すごく困るんですわ。」


「みんな自分に実害のない誰かを罰するというのは大好きなんです。
自分のこととしてみたら大変ですからね。だから「あんな悪い奴は
写真でもなんでも出せえ」言うて、それでみんな安心するわけですよ。」


『約束された場所で』/村上春樹著(文春文庫)
「河合隼雄氏との対話」の中から河合隼雄氏の言葉
(P274-275)



日常生活の中でも、自分がよかれと思って何気なくやったことが
裏目に出てしまう時がある。
善意の表し方って難しいなとつくづく思うし、
私の善意が他の人の善意と同じとは限らない、ということを
まず念頭において行動するべきだなとも、自分自身に対して思う。
いろんな意味で、「独善」というのはやはり怖い。
善だと感じることをもてはやすことも、
悪だと思うことを非難することにも、
もっと慎重にならなくてはならない、とも。


Boys Jump The Midnight



新年にふさわしい1曲……というのをひとりでぼーっと考えていたら、
「何か始めよう 新しいこと」というフレーズが浮かんできた。
スライダーズの『WAVE'95』の出だしである。
この曲、2010年を迎えたばかりの今の気分になんだかぴったりな感じ。

一緒にやろうぜ,yeah
腰を上げろよ,yeah
踏み出そう Baby Baby,yeah
No More Lonely Night,Ah,yeah

何か始めよう 新しいこと
何か始めよう 新しいこと


words by Hiro Murakoshi

私も何か始めたい、WAVE2010。

と思ってYouTubeで『WAVE'95』を探してみたが見つからなかった。


でも『Boys Jump The Midnight』をYouTubeで観て、テンションが上がった。

夢に追い越される前に
かじかんだ指先を
チャンスで温めて


『Boys Jump The Midnight』/word by Joy Pops+ K.Inojo


かっこいいね。